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don't worry be happy

「満州餃子 ラーメンスープ 薄い」からの~、ラーメンスープのお湯の量。

満州餃子 ラーメンスープ」で検索すると、サジェスト機能で「薄い」が自動的に出てくる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 我が家はぎょうざの満州の業務用60個パックを常備している家で、「ぎょうざ」と言えば「満州の業務用」って感じで、値段も税込1231円って暗記しているくらいです。わたくしの餃子を焼く腕前はほぼプロ級なので、「満州餃子業務用60個パック」と「私の焼き技術」があれば、たぶん、どこの店で食べてもこれより美味しい餃子は食べられないというくらいの美味しい餃子が格安で食べられます(10個食べても200円)(外のお店でクソアルバイト君が焼いた頼りない餃子が5個280円とかで出てくると殺意を覚えるし、これだから外食は高くてマズイ。って思います)。こちらの写真は別々の日に焼いた我が家の自家焼き満州餃子一覧ですが、見た目の通り安定の美味しさで、この餃子以外はもう要らないかな。っていうくらいです。とにかく本当に美味しいんだよこの餃子。自分で餃子を包むとかは時間の無駄だし、満州の冷凍生餃子を買ってきて鉄のフライパンで自分で焼く。これに限る。

 

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 先日、ぎょうざ満州の店先で「ラーメンスープ」を売っているのを見かけて、つい出来心で買いました。醤油30円、塩30円、味噌50円だったので、全種類食べてみたくて、3種類を2個ずつ買いました。

 スープの袋に「400ccのお湯で溶く」って書いてあったのでその通りに作ってみたところ、薄くて薄くて死ぬかと思いました(笑)。そもそも、ラーメンスープは「溶くお湯の量」が命で、キモで、それこそが全てなのに、それがまず間違っているという時点で、ラーメンスープとしては致命的でした。ちなみに初回は味噌スープ。

 ただ、「3種類買ってしまった」ので、少しでも美味しく食べる努力をすべく、2回目は「250cc」で溶いてみました。その心は「濃ければあとからお湯で埋めれば良いが、薄くなったらもうどうしようもない」ということで、250ccからの薄め作戦に出たわけです。結果、「しょっぺえええええええ」。まあこの2回目は塩スープで、野菜炒めをたっぷりのせた「タンメン」にして頂いたので、野菜の水気でなんとか急場をしのぎました。

 三度目の正直で醤油スープです。お湯の量は270ccです。これがアタリでした、ビンゴでした、ガチでした。ぎょうざの満州の中の人がコレを読んでいたら、今すぐに、ラーメンスープのパッケージに書いてあるお湯の量を、400ccから270ccに変更するべきです、なう。

満州餃子 ラーメンスープ 薄い」で検索してきた皆さんは、パッケージに表示されている400ccは見なかったことにして、270ccで溶いてみな。間違いないから。俺を信じろ。TRUST ME.Definitely.

 

WIREDっつー雑誌2.0、若林恵の胸板の厚さ。

2016年6月にWIREDネタで日記を書いていたが、あの特集(「いい会社」)が大変すばらしく、何よりも編集長(若林恵)の文章をひどく気に入って、あの後すぐに定期購読を申し込んだ。若林恵のWIREDは、どの特集も切り口が独特に感じられて、「雑誌」という媒体にこんなにワクワクしたのは、たぶん20年ぶりくらいだったと思う。

雑誌の特集って、「掘り下げる」イメージだったけど、

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若林恵編集長のWIREDは「深く掘るために広く掘る」みたいな感じがして(図はココ から拝借)、

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私にとっては、「自分が知らなかった広さ」を提供してくれる雑誌だったので、たとえそれがどんなテーマであっても、毎号の発売をとても楽しみにしていた。それ以上にやっぱり彼の文章を読むのがすごく好きだった。彼の知性に、ものすごい「胸板の厚さ」を感じた。「知性の胸板が厚い」って表現はどうかと思うが、きっとわかる人は分かってくれると思う。なんかその「胸板の厚い知性」に抱かれると、ホッとするというか、安心するというか、世の中まだまだ捨てたモノじゃないというか、要するに彼の「知性という胸板」に私は欲情していたのだった! 当時は「ネットで探せる若林恵」はほとんど読んだし、それでも足りなくて「WIREDの次の号」をいつも心待ちにしていた。「若林恵はいま何を考えているんだろう?」というのがとにかく知りたかった。この薄っぺらい世の中で、ひたすら「胸板の厚さ」を感じたかった(笑)。

 ところが定期購読を開始して2年経たないうちに「休刊します」ってなって、

エッ???

ハ??????

ハ、ハァ……!!!!!!

ってなって、たいへんガッカリしたが、残念がるヒマすら与えないかのごとく、その後の「休刊します手続き」がものすごい速さで迫ってきて、郵便為替が速攻で送りつけられ、「定期購読のお金は返しますゴメンね」って言われて「はあーーーーー(また1つ楽しみな雑誌が世の中から消えたー)」と思った。休刊の原因は、どうやら若林恵の編集長降板らしく、それが辞任なのか解任なのか分からないけど、「なんで彼が編集長を辞めることになったのか?!」を知りたくてあちこち検索もした。当たり前だが「それは、これこれこういう理由です」とはどこにも書いておらず、モヤモヤした気持ちのママ、手ひどくフラれた私は、「家に届かなくなったWIRED」と一緒に、若林恵のことも次第に忘れていった。

 ところがところが「WIRED復刊」とのニュースを聞きつけ、再び「ハアアアアア?!?!?!?!?!」ってなったのと同時に「誰が誰が誰が編集長をやんの!??!?!?!!?!!」と思った。名前を見たけど、知らない人だった(笑)。経歴を見ると村上龍がどうなこうなって書いてあった。それで「最新号の刊行に寄せた編集長のメッセージ」というやつを読んだ。読んだけど、何も書かれていなかった(笑)。「表紙の絵の説明」をしているだけだった(笑)。こいつ、クソだな、クズだな、ウンコだな。と思った。

 一方で「昔、私のことを振った元彼」が今何をやっているのか知りたくなったのとまったく同じ心境で、若林恵の現在を検索した(笑)。「未来なんてどうでもいい」って、まだ言っていた(笑)。一方的に読者にさよならを言った編集長が書いた本を、当時はどうしても読む気になれず、買わないでいたけど。たぶん、今こそ、これを読むときじゃないかと思った。

  「目に見えない胸板の厚さ」を自分がどうやって計っているのか説明できないけど。私にとっての「精神マッチョ」、若林恵の7年間の軌跡を、「フラレて1年経った今」なら、ちょっとは冷静に読めるかな~って思う。

美味しいコーヒー豆が欲しい

美味しいコーヒーの定義ができないんだけど、うちで入れる条件は

・焙煎豆を購入し、家で飲むときに、飲む分だけ、その都度、粉に挽く(電動ミルで)

・コーヒーメーカーを使ってドリップする

淹れる工程は同じなので、豆が重要。「外で飲む」というのは、ない。外で飲むと無駄に高いから。あと、珈琲と一緒に食べる菓子とかも、自分で作ったほうが美味しいから。調査のために喫茶店で「クッキー」とか頼んでみたことあるけど、「この程度のクッキーで、よく店とか出してるな…」と思うようなクッキーしか出てこないので、金を払ってそういうのは食べたくない。要らない。

コーヒー豆は、今までは、ラオスのエレファントマウンテンという豆を気に入っていて、決まった豆屋で8年くらいずっと購入していた。が、最近、そこの店員さんがほぼ全員、入れ替わってしまった。その結果、クソみたいな接客をされるようになった。一度、「もう二度とここで買わねえ。」ってなって、足が遠のいていたが、どこを探しても「あの豆と同じくらい美味しいと思う豆」が手に入らず、しぶしぶ「クソ接客二度目」を体験した結果、「死んでもココでは買わない。」ってなって、三度目は、もう、ない。あばよ。

珈琲豆ジプシーをしなければならないのが、けっこうめんどうくさい。あの店員さんたち、どこへ行ったんだろう。お給料が安くてよそへ行ってしまったんだろうか。1人は「独立開業」したのを発見したけれど、家から遠いので行ってない。「好きな商品を、好きな店員さんが売ってくれるお店」がどんどんなくなってしまうので悲しい。どうでもいい商品をどうでもいい店員から買うお店は死ぬほどあるのに。「良い商品を出せば、お客はついてくる」っていうのはウソですよ。「たとえ商品が良くても、店員がクソだと、お客はついていかない」が真理かな。

狂気

cakes.mu

そうなんですよ。「台所の狂気」というのは確実にある。夫は「ガレージの狂気」だし、私の場合は「ミシンの狂気」もある。無知で鈍感な輩を「まともな人」って呼ばなきゃいけないなら、好奇心と自己肯定感を追い求めた結果、人から「きちがい」と呼ばれたほうがはるかにマシなので狂気上等です。

まあこの記事は「そういう話」じゃないと思うけど、でも腐りきった世の中で楽しく生きるためには己の狂気を追求するしかないし、追求せずにはいられない。

 

コスト

「コスト」って言うと、頭の悪い人はどうもお金のことしか考えないみたい。「時間」「労力」「エネルギー」も「コスト」としてカウントするべきものなのだけれど、どうやっても分かってもらえない。「時間通りに会議を始める」とか「二度手間、三度手間を避ける」とかも「コストダウン」につながるんだけど、時間通りに会議は始まらないし、二度手間・三度手間を平気でやっている。ウンザリする。なぜ分からないのか、分からない。「痛い思いをしないから?」とかも考えたけど「お金がない」以外に、「時間がない」「人手が足りない」とかも「痛い思い」に含まれるのに、それを感じないというのは鈍感なのだろうか。頭の悪い人と一緒に働くのはとても疲れるので、せめて「長」の頭だけでも悪くない職場で働きたいんだけど、「長の頭が悪くない職場」っていうのが、これがまたほとんどないんだなwww 「頭の良い長」というのはどこにいるんだろうか。私の頭が悪いから出会えないんだろうか。

職場で従業員に対して「ボランティア」強要するのやめろ

ボランティアは「タダ働きする」という意味ではなく「自ら志願する」という意味。

「ボランティアお願いします」という日本語は「自ら志願してくれ」ということになり、相手に対して「自発的志願」を「依頼」している時点で「すでに自発的ではない」ので、意味が通じない。言うなら「タダ働きしてくれ」だと思うが、もちろん断る。

松浦弥太郎さんうさんくさい

みんなすごい持ち上げてるけど、批判している人が少ない(ように見える)のはなぜだろう。今のところ批判らしきものを目にしたのは、amazonのレビューで☆の数が少ないやつ、cakesの編集者対談「すべてのニュースは賞味期限切れである」、個人ブログ2件ほど、あとは2ちゃんねるの「生活系雑誌」スレッドくらいかな。

彼はどの角度から見ても胡散くさい以外の何ものでもなく、その実態は「お金で買えるものを買っているだけの人」にしか見えない。そのモノに対する愛情もきわめて薄そうで、「自分がとても気に入って大事にしているものを紹介」するんではなくて、「お金があったら買ってもよい良品を右から左に並べているだけ」に過ぎない印象。

だいたい知的労働がつとまるだけの学が無いのは事実だし(中卒)、書いたものを読んでもその薄っぺらさが分かりそうに思うが、私が最もドン引きしたのはこの記事かな。

gendai.ismedia.jp

「自分がメディア」とか、ナニ言ってんだwwwと思うし(「メディア」の意味、分かってんのかな?)、「愛される人間のきほん」というタイトルは(バカ編集がつけたんだろうけど)、偏差値の低い女性が読む「愛されヘア」「愛されメイク」「愛されワンピ」みたいなものしか連想させないし、「優先順位の一番上は、人を傷つけたり悲しませたりしないこと」っていう小見出しなんか、字ヅラを見ただけで「オエェッ」と吐き気がこみ上げるのは、私だけなのだろうか。

物凄いコンプレックスの塊なんだろうなあ。と思う。

他人から愛される為に最も必要なことは「まず自分が他人を愛すること」だし、「必要とされなければ生きていけない」と考えるのは、「必要ない人間は死ね」って自分が思っていることと同義だし、「気に入られたい」「認められたい」「すごい人だと思われたい」ことに必死で、それはなんでかっていうと「自分がつまらない人間だと自分が思っているから」なんじゃないかなぁ、って感じがする。この人、つまらなそう。

「暮らしの手帖」の売り上げを2倍にしたのはすごいけど、それも彼に能力があるというわけではなく、まわりが優秀だったから出来たとか、たまたま当たったただけ、ではないかと思う。その後のクックパッド以降の動きを見れば、「客寄せパンダの奪い合い」あるいは「お荷物の押し付け合い」になってそうなことは想像に難くない。ユニクロが客寄せパンダの残骸をチュウチュウしてるところらしいけど。

行き詰った「暮らしの手帖」が、彼を編集長に迎えたのは、社長の「直観」だったそうだけれど、元々のスタッフはみんな高学歴のクリエイターばかりに違いないから、偏差値70の人が「偏差値30くらいの人が言ってること」を、なんだか新鮮で目新しく感じた上に、「もう後がない」からトチ狂って編集長を頼んだようにしか思えない。

顔を見れば「まったく何も考えて無さそうな顔」って分かりそうなものを、なんであんなに人気があるんだろう。彼のインスタグラムも酷いセンスだし、金があれば誰でも買えるものを買ってるだけだし、何が良いのかさっぱりわからない。

こういう「薄っぺらい存在」がもてはやされる世の中なのは今に始まったことではないけれど、最近、「インスタ蠅するアイスを買ったら、写真撮ってゴミ箱に捨てる」っていうネットニュースを読んで「松浦弥太郎っぽい」と思ったので書いてみた。

togetter.com

「注目を浴びたくて必死」なところがインスタ蠅厨とソックリって思った。JKはアイスを買って捨てるだけだけど、弥太郎はブランド品を買って自己愛を捨てている。

『「自分らしさ」はいらない』なんていう本も出していて「「何かを始めたいなら、『自分らしさ』など捨てたほうがいい」とか言っているようだけど、自分らしさをすてることができるのは、もともと自分らしさを持っている人だけなのでw、彼は「捨てるほどの自分もない」上に、編集者・文筆家を名乗るのであれば「自分らしさ」はメシのタネなので、「自分らしさがないクリエイター」に注文は来ないと思うんだよね。

何事も賞味期限の早い昨今なので、「インスタ用に写真撮ったアイスがゴミ箱いき」になるのと同様、「松浦弥太郎好きを表明することでセンス良い自分を演出していた消費者層」から、そろそろゴミ箱に捨てられる時期が来ているんじゃないのかな。と思いました。